これはある家族が家を建てるまでの物語

2015年の春。

久しぶりに神奈川県の座間市に住む叔父の家を訪問した。

食後の雑談の中でどう言う流れか将来は賃貸物件を建てて家賃収入で暮らせたらいいねと言う話題になった。
と言うのも、アラサーの長女のやっている事業が順調で、それなりの収入も得られるため結婚の意思はなく将来のために不労収益の道を探っていると言う話から始まったのだ。
すると叔父が急に身を乗り出してきた。
「実は隣の綾瀬市に土地があるんだよ」
「なんでまた土地を持ってるの?」
私にはこの話は初耳だった。
叔父は既に座間に戸建ての家を所有して住んでいるのだ。
「もらったんだ」
「もらった?」
「130坪はあるな」
「130坪って・・・」
横浜で30坪の建売に住んでいる私にとっては衝撃の広さだった。
聞けば叔父は30年前に綾瀬に住んでいたのだ、その時に知り合った独居老人の世話をしてやったことがきっかけだったと言う。
成り行きで介護を引き受け10年間にわたり世話を続け、この座間の家で最期を迎えたたと言う。
身寄りの無い老人は世話になったお礼だと言って所有する土地の譲渡を申し出たのだそうだ。
赤の他人の世話を10年以上も続ける叔父にも驚いたが、その見返り130坪の土地をプレゼントする老人にも口が塞がらなかった。
「税金を払うのも大変だし、草刈りにも疲れた。おまえにやるから使えばいい」
大胆な発言をするものだ。
「息子がいるんだから息子にやればいいんじゃないの」
「40過ぎて未だに結婚もできないあいつにゃあこの家を維持するのが関の山だ。とてもあの土地まで手が回らない」
「あ・・・そう」
叔父の愚息を誹る言葉に同調するわけにもいかず私は返す言葉がなかった。
「それこそアパートでも建てれば良かったんじゃない?」
「一度だけ大東建託が来て見積もりまで行ったんだが寸前で断った」
「ああ。それは正解だったね。借金までして建てると間違いなく失敗するみたいよ」
「今にして思えば危なかったよ」
叔父は心から安堵しているようだった。
叔母も他人に土地を渡したくないと言う。私なら大賛成だと乗り気だった。
「まあ帰って娘と相談してみるよ」
「取りあえず一度土地を見てみないか?」
とは言え既に夜になっていたので後日改めて伺うと言うことにしてその日は帰宅した。

帰宅すると早速この話を女房に聞かせた。

女房は長女と相談して決めればいいと言った反応だった。
確かに長女のやることに女房はなんら発言権を持たないのだから最もな回答と言える。
長女にも当然ながらこの話はした。彼女は作業に没頭することで忙しく、それ以外の全てを私に一任している。
よって、資産運用に関しても父が判断して上手くやってくれれば良いと言う淡泊なものであった。
とにもかくにも叔父の勧める土地を見てみなくては始まらない。
既に長女の事業の番頭的な立ち位置にあった私は2014年の初夏にそれまで契約社員として働いていた職場を辞めて自宅で過ごしていた。
35年に渡る私のシステムエンジニア人生はここで終止符を打つこととなった訳だ。
経理事務や雑務をこなしつつ得意先である出版社からの勧めをもあって長女の事業の法人化への準備も進めていた。
定期的に顧問税理士と会ったり、著作権に関して弁護士と相談したりする以外には殆ど仕事はない。
自由に時間が使える私は二日後に土地を見に行くと叔父に電話を入れた。

二日後、叔父の家を経由して問題の土地に向かった。
現地に行って始めて知ったのだが土地はいわゆる旗竿地と言われるものだった。
幅3メートル、長さ18メートルの通路の奥に14メートル×28メートルの長方形の敷地があった。
この約440㎡(約133坪)には小さな平屋が建っていた。土地は南北に長く、北側に建屋があり南側には叔父が畑を作っているようだった。
旗竿地に関しては余り良い印象を持たない方もおられるだろう。確かに土地形状としては通路にしかならない部分が無駄のように感じられるかも知れないが、奥まっている分道路を通過する車両の騒音が小さいと言う利点もある。

ところがすぐにこの土地は形状などよりももっと深刻な問題があることにすぐ気づくになる。
叔父と話していると突然に鼓膜が破れるような轟音が辺りに轟いたのである。
実はここから南3キロ程に厚木飛行場があるのだ。
通過したのは米空母の艦載機であるF18スーパーホーネットだと思われた。
叔父に言わせるとターンをしてエンジンを吹かす座間の方がもっと五月蠅いらしい。
ミリタリーファンの私は次の騒音の接近で上空を見上げ、200メートル程の上空をゆっくりと通過するF18を確認した。
良くもこんな爆音が轟く場所で暮らせるものだと思ったものだ。
しかし、土地に隣接する住宅の窓を観察すると特に二重ガラスにしているような様子もない。慣れなのか、既に難聴にでもなっているのではないかと疑った。

叔父の話だと近年は協定により土日は飛ばなくなったのだそうだ。かつて住民を苦しめた夜間発着訓練もこの数年実施されていないと言う。
いわゆる夜間発着訓練(NLP)は戦闘機が厚木飛行場の滑走路を空母の甲板に見立てて夜間にタッチアンドゴーなどの離着陸訓練を行うもので、上昇の際にエンジンを最大出力で吹かすことで轟音が発生していたのだ。
騒音は新橋のガード下で電車が通過する時の騒音と等しい。
しかし2014年以降は硫黄島での訓練が主で厚木では実施されなくなったらしい。
いずれにしても、この騒音対策が問題だ。もしここにマンションを建てるにしても防音対策がキーになることは間違いない。すなわちそれは通常の建物を建てるのに比べてコストの上昇を意味する。
ただし、逆の発想をするならば、この地域に住む上で静かな住環境が得られると言うのはメリットにもなり得るのではないか。
私はその日からこの綾瀬での賃貸事業の採算性や騒音に強い家の調査を始めることにした。

土地をもらい受けるかどうかはその結果を吟味してからにしよう。