こんにちは。くらそうねライターの豊田有希です。

富士山と生きるおばあちゃんの知恵では、山梨県巨摩郡身延町に住むおじいちゃん、おばあちゃんの暮らしの知恵を毎月紹介しています。

今回は、11月が旬の花「皇帝ダリア」の写真からスタートです。

過去にも何度か紹介したことがありますが、寒くならないと咲かないのに、霜が降りると枯れてしまうというデリケートなお花です。

4月に芽が出て、花が咲くのは11月。寒すぎると咲かないので、寒い地域で見ることはありません。
山梨県でも、身延町あたりが北限ではないかとおじいちゃんが言っていました。今年は11月に暖かい日が続いたので、見事な大輪をたくさん咲かせました。

花言葉は乙女の真心、乙女の純潔

連載は残り2回となります

さて、約3年にわたってお届けしてきたこの連載。実は残すところあと2回となりました。

振り返ってみると、約3年間毎月のようにおじいちゃんとおばあちゃんのお宅を訪問し、お庭や畑で話を聞いたり、おばあちゃんの季節の手作りおやつをいただいたり・・・取材と称して色々なものをご馳走になりました。

東京から約3時間の距離にあるこの場所は、一ヶ月変わるだけで食卓に上がるものや収穫できる野菜も変わり、都会に住んでいると見過ごしてしまうような季節の変化を感じることができました。

今日のおやつは手作りゆずジャムを入れたホットドリンク・おせんべいのゆずジャムのせ・柿。

残り2回はおばあちゃんの旬の食材を生かしたレシピの中で、特に反響の大きかったレシピを記事後半に再度ご紹介します。

スローライフとは?お2人に改めてインタビュー

さて、いつも行き当たりばったりな取材スタイルなのですが、今回は残り2回ということで、ちょっと真面目な取材を。今までの連載のまとめになればいいなと思っておじいちゃんに質問をぶつけてみました。

ここでの暮らしのいいところって何ですか?

いいところがあれば人口は減らないだろうけどねぇ。はははっ(笑)

…。(話が終わってしまった…)

そうだねぇ…静かに暮らすにはいいよ。めったに人に会わないしね。

た、確かに…(;^ω^)

いつぞやは、『昼めし旅』というテレビ番組のスタッフが国道からはるばる歩いて登ってきて(道路からかなりの坂を登らないと辿り着かない)、取材を頼まれてびっくりしたこともあったそうです。(おばあちゃんはお断りされたそうですが)

お2人のおうちは小高い山の中腹に。

確かにここら辺では歩いている人を見ることはほとんどありません。

日本国内の地方の多くがそうであるように、おじいちゃんおばあちゃんの集落でもある程度の歳をとった人は自宅を離れて施設に入りますので、空き家は増えていく一方
新しく引っ越してくる人はほぼいないわけで、人口は減り続けています。

おばあちゃんが「一番悲しいのは、自分たちより若い人が亡くなってしまうことよね」と、ポツリ。
できるなら歳の順番に亡くなっていってほしい、自分たちより若い人が亡くなっていくのを見るのは辛い、と。

人口が少ない町の中で若い人は“希望の存在”だったり“地域の担い手”だからこそ、自分たちより若い人が亡くなっていくことは、集落にとっても痛手となります。

昔のように、長男が家を継いで親子3世代同居…というスタイルを継承しているお宅はほとんどなくなってしまいましたからね。

一方で、今やパソコンさえあれば仕事ができる社会にもなっていますので、このような静かなスローライフを求めて山間部に越してくる若者に期待したいところです。

 

働き者のおじいちゃんのタイムスケジュール

まもなくこの連載も終わりということで、ここでおじいちゃん自身についてじっくりうかがってみたいと思います。

おじいちゃんこと、修身さん(79歳)は自ら「百姓は総合商社だよ」とおっしゃっています。必要なものは作り、物が壊れたら何でも自分の手で直す、だから総合商社です。

そんなおじいちゃんのこの冬の1日ルーティンは、だいたいこんな感じ。

朝起きて朝ごはんを食べたら、外仕事。
木の枝を切ったり、田んぼの片付けをしたり、庭仕事をしたり…と午前中はしっかりと体を動かします。

 

大変なことでも、一人で黙々とやるのはこの歳でも全然平気だね。でも歳をとってきたから、大勢の中で一緒にやるのはちょっと疲れるねぇ。

 

私たちと田んぼで作業をする時も、一番働いているのはおじいちゃんだったりします。
まだおじいちゃんの半分ほども若い私でも、おじいちゃんの動きの速さになかなかついていけないこともあるほど、働き者です。

お昼ご飯を食べたら、少しお昼寝をするのがおじいちゃんの日課。夜ぐっすり眠るために少しの昼寝は効果的だという医学データもありますので、理にかなっていますね!

そして夕方には、おばあちゃんと散歩に出かけます。散歩といっても、1時間はきっちり歩く。

たとえ病気をしていなくても足腰が弱ってしまったら生活に支障も出ますし、お弁当を持って花を見にお出かけすることもできなくなってしまいます。

車移動が基本の地域ですから、たくさん歩くことはとても重要ですね

では、そんなおじいちゃんのこれまでの人生を振り返ってみましょう。

東大医学部の学生に講義をしたことも!

おじいちゃんは、山梨県南巨摩郡身延町で9人兄弟の8番目としてこの家に生まれます。

高校を卒業してすぐに上京。上に兄弟が多かったので、実家にずっと住み続けることはできないと思って東京に出たそうです。神奈川県の新丸子に住み、目黒区の祐天寺にある会社に勤めます。

コンピューターの走りであるXY記録計を作っていた会社で技術者として働きます。勉強は大嫌いだったけれど、上京して1年で「もっと勉強しなければダメだ」という向上心が芽生え、働きながら電気の専門学校の夜学に通ったそう。努力家ですね。

最初の会社では3年働いて、もっと上をと思って会社を辞めます。

次に働いたのが電子顕微鏡を作っていた「日本電子」という小さな会社。その中で、おじいちゃんの担当は大学や病院で使われる倍率の高い顕微鏡でした。

俺はこう見えても、技術系なんだよ(笑)

 

営業担当と一緒に技術担当として大学に説明に行ったりする中、東大の教授に頼まれて医学部の学生に講義をしたこともあるんですって!

 

24~5歳の時、東京大学の教授に頼まれて医学部の学生に講義をしたことがあるよ。

すごい!教授みたい!緊張しませんでしたか?

いや~そんなに緊張しなかったね。自分の知っていることを話せばいいだけだと思ったから。

人前で話すのは苦手じゃないみたい。みんなの前で挨拶をしてほしいと頼まれても、私はあまり心配することはないわねえ。

確かに、いつも田植えの時の挨拶でもおじいちゃんは第一声で笑いを必ず取りますもんね!

主人が結婚式で挨拶をした時に、『お宅のご主人の挨拶がすごく良かった』とか『町長さんの挨拶より修身さんの挨拶のほうが良かったよ』と言われたこともあったわ(笑)

その代わり、練習もしっかりするからね。

やはりこういうところにも努力家のおじいちゃんの姿が見て取れますね。

身延にUターン、そこからの紆余曲折

おじいちゃんにはお兄さんがいますが、そのお兄さんも上京してしまったので、家を継ぐなら自分か弟のどちらかということになります。
東京で複数のお見合い話などもあったようですが…最終的には自分が身延に戻って実家を継ぐことを決めたそう。

なぜ戻ってくることを決めたんですか?

やはり親父とおふくろの代で終わりになってはまずいだろうということと、静岡で教職についていた弟よりも自分の方がいいだろうと思ってね。

そこからは自分で養鶏所を始めたそう。ひよこを買ってきて、育てて、鶏を卸す仕事です。
その時におばあちゃんとのお見合いの話があり、結婚。(ここでおばあちゃんが人生に登場!)

養鶏所を全部自分で作ったのよね。

えーー!自分で?!

半年くらいかかって鶏小屋を全部手作りして作ったよ。

養鶏所は何年くらいやったんですか?

3年か4年で辞めたね。動物が持っている病原菌なんかが畜産農家に産まれてくる子供に良くないという迷信が昔はあってね。だから家内にも手伝わせたくなかった。それで辞めたんだ。

そのあとは、印刷会社を経て金属の鋳物工場の会社へ就職。そこで機械加工を担当。
機械を使うためにロボットの操作をしなければならなかったので、ロボットを動かすプログラムを習得。その会社で定年まで20年以上技術者として働きます。

その時の知識のおかげで、今でも壊れた洗濯機をバラして直してしまうというおじいちゃん。

「説明書だけ取っておいてくれれば、なんとかなる」そうな。洗濯機なんて買い替えれば数万円しますからね。心強いです!

働き者のおじいちゃんは定年退職後も小さな会社でアルバイトをしますが、なんとそこで給料未払いという問題が起きてしまいます。

 

このままじゃ終われないと思ってね、労働基準監督署というところへ行って相談したら、もらっていない給料は8割程度までは国で見てくれる制度があることを知ってね。

 

一緒に働いてたみんなの分も一緒に手続きしてあげたのよね。みんなもすごく喜んでくれてね。

結構いろんなことがあって今日まで来たねえ。

 

 

私が知るおじいちゃんは、畑を一生懸命管理する農家のおじいちゃんでしたが…まさに「人に歴史あり」ですね。
でも、どの環境においても常に努力をして「できることはなんでもやる」姿勢は同じなんだなと感じました。

厩の跡が伝えるかつての日本文化

 

先ほどもお伝えしましたが、おじいちゃんのお宅はかなりきつい坂を登った先にあります。その坂を登って重たいものを運搬するには、人の手だけではかなり大変。

かといって今のように1家に1台車があった時代でもありません。

では、どうやって物を運んでいたのかというと…

 

俺たちの子供の頃は馬を飼っていたからね。今、車庫にしていたところが『厩(うまや)』だったんだよ。

こちらが旧・厩。言われてみればそんな雰囲気を感じますよね。

馬は車代わりね。

おじいちゃんが何歳の時ですか?

俺が高校生の時はまだ馬がいたから、昭和33年頃まではいたね。一般的には荷物を運んだりしていたけれど、うちでは農耕に使ってたよ。一頭ね。

車に今でも使う『馬力』っていう言葉の語源よね。子供の頃は乗せてもらったものですよ。

長野県の木曽馬を飼っていたね。『馬喰(ばくろ)』と言って、子馬を連れてきて今まで農耕に使っていた馬と交換することを商売にしていた人がいたんだよ。

馬が歳をとって馬力がなくなってきたら、子馬と交換するんですか?

そうそう。

 

厩には『ませんぼ』というものがあって、馬を通せんぼするための丸太みたいなものを3本置いて、馬が出てこないようにしたそうです。人間ではなく馬を通せんぼするから『ませんぼ』なんですね。

 

ませんぼなんて言葉、すっかり忘れてたなあ。こういう話ができてよかった。

 

こういうのも日本の貴重な文化ですよね。各地方の方言を話す人が徐々に減っているように、生活に密着した日本文化は忘れ去られてしまいがちなので、貴重なお話が聞けて私もとても嬉しかったです。

冬に大活躍の白菜でカンタンお漬物

さて、ここでおばあちゃんの人気レシピリターンズ。

まさに今が旬の白菜。1株丸ごと買ったほうがお得なのですが、お鍋やシチュー以外にどう使おう…?という人も多いようです。

そこでオススメなのがお漬物。低カロリーなので小腹が減ったときの夜食やおやつににつまむのにもいいですよね。

これまでいろいろご紹介してきたおばあちゃんのレシピ。どれも素朴な中にもしっかり旨みが効いていて、つい図々しく楽しみにしてしまっていた自分がいました。

核家族がスタンダードになってきたいま、「その家に代々受け継がれるおふくろの味」を知っている人も少なくなっていると思います。

このようなご縁を頂けて「おばあちゃんの味」を直々に教えてもらい、皆さんにそれが伝えられたこと、とても有意義だったなとしみじみ思います。

編集後記

近年続いている大型台風の襲来。今年も10月に入ってもなお大きな台風に襲われ、この長野県でもかなりの規模の被害があり、私も取材を断念しました。

10月初旬は1年でもいちばん陽気が爽やかでお出かけ日和になるのに、おじいちゃんとおばあちゃんもなかなかお出かけができずにいたようです。

そしてようやく天候も落ち着いた11月中旬の晴れたある日に、お2人は南アルプス市にある伊奈ヶ湖に紅葉を見に行ってきたそうです。
お天気がとってもよかった日に、新米おにぎりを作って、コーヒーを淹れて。

そのとき撮った湖の写真を見せてもらいました。

ショッピングやレストランでのお食事も楽しいけれど、お金をかけるだけがお出かけじゃない!といつも教えてもらいます。

おじいちゃんは笑って「いいところがあれば人口は減らないよ」なんて言っていましたが、都会の暮らししか知らない私たちからすれば、自分たちで作った美味しいお野菜を食べてお花を愛でて、こうして週末は近くにドライブに行って。
そんな穏やかな人生もすごく羨ましく思えます。

最後の取材となる次回でも、お2人の素敵な暮らしぶりをお届けします。