こんにちは、はじめまして。クラッソーネライターの豊田有希です。
『富士山と生きる おばあちゃんの知恵』は、山梨県巨摩郡身延町に住むおじいちゃん、おばあちゃんの暮らしの知恵を紹介していきます。

まずは私の自己紹介から。

私は、2010年から「田んぼできずなづくり」というプロジェクトをやっています。

看板写真

このプロジェクトは、使われなくなった農地を活用して、都会の人がお米づくりを体験する仕組みです。
都会から年間累計約400人が、過疎地となった集落を訪れ、お米作りをしています。
私は普段は東京に住んでいますが、年20回ほど身延町を訪れます。
よく「出身が身延ですか?」と聞かれますが、出身は大阪で、山梨にも身延にもゆかりはないのですが、「ご縁」でこの地で田んぼできずなづくりを始めて7年目になります。

自然の暮らしの知恵を教えてくれるおじいちゃんのお名前は修身(おさみ)さん、おばあちゃんのお名前は章子(しょうこ)さん。

futari

お二人は私たちがやっている田んぼの先生であり、お米や野菜を作ったり、山菜をとったりしながらほぼ自給自足の暮らしをしていらっしゃいます。
そんなお二人の暮らしは、とても豊かで自然を活かした工夫がいっぱいなので、季節に合わせた知恵をご紹介します。
みなさんの生活をちょっと豊かになるようなヒントになればいいなと思います。
記念すべき(?)第1回めは「5月は田植えの季節」。

田植えをまつ苗

お米づくりと5月のお料理レシピをお届けします。

富士山と一緒に生きる身延町とはどんなところ?

山梨県巨摩郡身延町は、山梨県の南西部にあり、静岡県との県境に位置するのどかな街。

本栖湖畔からみた富士山

富士山が近く、千円札と旧五千円札に印刷されている逆さ富士は、身延町の本栖湖畔から撮影された写真がモデルと言われています。また、日蓮宗総本山の身延山久遠寺の門前町で、久遠寺の参拝や身延山・七面山へのトレッキングなども楽しめる場所です。

土地の美味しいものとしては、大粒で甘みの強いことが特徴の「あけぼの大豆」や、

あけぼの大豆2

「みのぶ湯葉」が有名。

ゆば

あけぼの大豆は、入手の難しさから「幻の大豆」と言われ、大豆になる前の枝豆は収穫期の数週間しか出回らず、とても希少な枝豆。

枝豆

身延町でしか育たない在来種で、通常の枝豆よりも大粒で糖度が高いので1度食べたら忘れられない味です。

あけぼの大豆2

みのぶ湯葉は、日蓮聖人の体を気づかい、弟子たちが師の栄養源のために供したのが始まりと言われています。

道の駅などでも出来立ての湯葉が販売されていて、生湯葉なども手軽に購入できます。 山の恵がたくさんいただける身延町。
そこで生きるおばあちゃんたちは、自然とともに生きる「無理をしない」生き方が見えてきます。
時には、猿や鹿が畑にお客さんとしてやって来るという山あいの暮らしです。

田んぼの風景

5月は本格的な田植えの季節

「28歳の時に父が亡くなって家を守るために身延町に戻ってきた」と語るのは今年で76歳の修身さん。

修身さん元写真

9人兄弟の8番目で5男という修身さんは、高校を卒業し東京で仕事をしていたそうですが、お父さんが亡くなり、兄弟の中で独身だった修身さんが家を守ることになりました。

当時(昭和44年)は、日本は国民全体が都会志向で、身延町にお嫁さんに来てくれる人はいないだろうと思っていたと言います。
その修身さんにお嫁入りしたのが、隣町、南部町出身の章子さん。

akikosan

修身さんと章子さんは、それ以来、先祖代々から守ってきた田んぼで会社員をしながらお米を作ってきました。
身延町は山の谷間に田んぼがあるため、沢にわいた綺麗なお水が流れ込んでいますが、日照時間は短く、一つ一つの田んぼが小さいため、専業で農家をしている人はほとんどいません。皆さん、自分たち家族が食べるお米を作り続けてきました。

その身延町でも高齢化が進みお米を作り続ける家も年々減っています。

お米は一年に一回しかつくれないから、俺もまだ四十数回目。まだまだ経験が足りないよ。

と笑いながら語る修身さん。

もう四十数回目ではなく、「まだ」経験が足りないのだそうです。
この感覚にびっくりしますね。

田植えをする修身さん

俺たちは毎日サンデーだから(笑)

と、ジョークととばす楽しい働き者のおじいちゃんです。

お米作りは、3月の耕耘、4月の籾まきから始まり、5月の田植え、9月に稲刈りを迎えるまでは雑草取りや、毎日の水見(田んぼの水が漏れていないか、水温が低すぎないかなどを観察する)が欠かせません。

一見、定期的な作業に見えますが、毎年天候が違うので、 日記をつけながら、気温や稲の成長に合わせて毎年毎年、応用をしていくそうです。

稲は1年に1回しか実をつけないから、1年の結果を書き記して、翌年以降に活かしているよ。

と教えてくれました。

毎年いろんな工夫をしているようです。
取材をした日はちょうどお田植えの日でした。

育てる品種は「コシヒカリ」。
自分たちが籾から育てた苗を機械で丁寧に植えて行きます。
夫婦で二人三脚、「収穫したお米は離れている家族やお孫さんに食べてもらうのを楽しみにしている」とのこと。
章子さんが以前、お孫さんが身延町に来たときのことを教えてくれました。

田んぼに実っている黄金の稲穂を見て、まだ小さかったお孫さんが「これはいつも食べているお米と違うよ。だってお米は白いのに、これは白くない」と言ったそうです。

もみ

そこで、収穫したお米を精米所に持っていき、精米すると白いお米になることを見せるとお孫さんの中で、稲穂とご飯がつながったとのこと。

そのお孫さんがおじいちゃん、おばあちゃんのお米を食べて育っているというのは本当に豊かな生活だと思いますし、だからこそ、おじいちゃん、おばあちゃんもお米作りに精が出るのだと思います。

そしてこの時期は、外ごはんが気持ちいい時期なので、庭のお花畑がよく見える場所にテーブルを出して食事をしているそうです。
すごく素敵なのですが、写真がなかったので、イラストでご紹介しますね。

futari

多くの地元の方が高齢となり、体力の限界を感じお米作りをやめていく中、修身さん、章子さんはまだまだ。 その秘訣は、毎日約40分のウォーキング。

日中の農作業に加えて、毎日二人でウォーキングを欠かすことがないそうです。

自分たちが育てたお米や野菜を食べて、田んぼや畑で汗を流し、毎日ウォーキングをする。
車生活になりがちな田舎生活ですが、日々の工夫があってこその健康なのだとお二人を見ていると教えられます。

今が旬の「きゃらぶき」を作る

章子さんは旬の食材を毎年工夫して保存食にしています。
近くにスーパーがなくて不便だからこそ、自然の恵みを大事に出来るのかもしれませんね。
この時期は、水辺や川のところに生えている「ふき」を採ってきて、ご飯のお供のきゃらぶきにしているそうです。

きゅらぶき

きゃらぶきにできる「ふき」は出はじめの柔らかいものを使うそうです。
しばらくするとだんだんふきが固くなってしまうそうで、水辺近くにあるものが柔らかいんだそう。

これを水洗いして2~3時間水に浸けて、醤油とみりんと砂糖を加え、5~8時間も煮込んで作るんだそうです。
そうすると鍋いっぱいだったふきが3分の1くらいになってしまうそう。

kyarabuki1-2

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作ったきゃらぶきは冷凍していつでも食べれるようにしているそうです。
頂いたきゃらぶきは柔らかくて!
5~8時間もかかったと思うと愛情を感じました。

田舎の手仕事は、おばあちゃんの愛情がたっぷりで、頂くだけで元気をもらえます。
ちょっと時間はかかりますが、保存が効くのでご飯のお供におすすめです。
たくさんフキが手に入ったら、ぜひ作ってみてください。

第1回め。緊張しながら書きました。
みなさんに楽しんでいただけたらとても嬉しいです。

6月は梅仕事が始まります。
次回は梅を使ったおばあちゃんの知恵をご紹介したいと思います。